自然と彫刻とそこに生きた人々と、悠久に在り続ける場には人の想いの積層がある 

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 北海道の中央部、石狩平野の東端に位置する人口2万6千人の美唄市。ここに、アルテピアッツァ美唄はある。アルテピアッツァ美唄を人々が訪れる理由はいくつかあげられる。世界に名だたる彫刻家安田侃の作品に出会える広大な公共空間。北海道の雄大な自然と調和する彫刻作品の数々に座ったり触ったり自由な観賞が許される稀有な場所だ。また、かつて栄えた炭鉱の町の再生への挑戦として、廃校をリノベーションして蘇らせた場の活用の仕方への関心など、特異な事例を見たいという好奇心がこの地に赴かせる。机上の情報をもとに、はじめてその地に踏み入るのだが、想像で価値を測っていた自身の浅はかさを恥じることになる。

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 アルテピアッツァ美唄は、石炭産業が隆盛を極め、石炭と人とあふれんエネルギーに満ちた土地で生まれ育った彫刻家安田氏が、時代の流れとともに変わり果てた故郷の姿を前に生じた想いに創始する。当時、旧栄小学校の体育館をアトリエの代わりとして市から借り受け、作品を置いた。すき間だらけの古い木造の旧校舎の1階は幼稚園として、幼い園児たちがアトリエをのぞきこみ、歓声を上げ、作品を駆け巡っていた。未来ある子どもたちのために、子どもたちがのびのびと過ごすことのできる広場にと、財政厳しかった美唄市の決断とともに、芸術広場としての再生へ舵を切った。
 
 彫刻家安田氏はこう語った。「アルテピアッツァ美唄は、来訪者が自分を見つめる、自分のこころを感じられるようにつくった場である」と。「懐かしいと思う感情も、美しいと涙する感動も、自分自身のこころをうつしている。出来て20年、ここで育った子がやっと大人になった。その子が再び訪れて何を思うか、ここからが本当の意味の始まりである。」と。

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 アルテピアッツァとは、イタリア語で芸術広場のこと。7万㎡を超す広大な敷地に、点在する40数点の彫刻と、当時の面影を残した建物、(1階が市立栄幼稚園、2階がギャラリーの旧校舎、アートスペース兼ホールの旧体育館、「こころを彫る授業」が行われるストゥディオアルテ(体験工房)とカフェアルテ)、そして豊かな木々や動物を目の前にした圧倒的な自然がアルテの構成要素だ。
 アルテの来訪者はみな「また来ます」という言葉を残して帰途につくという。それもそのはずだ。目を開いてみた先にある光景に同じ瞬間は二度とない。それは、この場所のあらゆるシーンが、意図をもって配置され、自然と共に生きているからだ。そしてその感じ方も見え方も全ては、自分の行為に還る。本物を目前にして何を想うか、まるで己をうつす鏡そのものだ。
 
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 この広大な土地で厳しい寒さを乗り越えながら、すみずみまで手入れされた空間をつくり続けるには相当な維持費がかかる。2005年4月、アルテピアッツァ美唄を運営する主体として、NPO法人「アルテピアッツァびばい」が設立された。「アルテ市民」としてこの場を支えていく「ポポロの制度」を開始し、現在会員は市内外に約600名いる。よくある賛助会員の制度と違うのは、会員もアルテ市民としてNPOの運営に参画し、市民としてアルテピアッツァを守る活動に参加できることだ。それでも厳しい市の財政状況や社会経済情勢を受け、入場料を取ることもなく、会費や寄附金のみで賄うにはまだまだ到底費用は足りていない。
 
 NPO法人「アルテピアッツァびばい」代表の磯田氏は、立ち上げの際に力強く語った。「安田侃という類稀なアーティストに出会い、数や量で計るのではない、心に沁みる豊かさの創造にむけた壮大な実践の戦列の中にいる。右肩上がりの経済的発展を疑うことのない中でつくられてきた物差しを越えて、豊かさの新しい基軸を創造しようという旅の始まりでもある。」と。

 アルテ写真


 夏、アルテの恒例行事として、毎年盆踊りが開催される。地元の人も帰省した者も皆が一緒になって輪になって踊る。アルテがこの場に在ること。それは、栄枯盛衰その名のままに辿った過去の記憶を真実として、この地を離れざるを得なかった多くの人への惜別の気持ちと共に、あたたかい灯をともしていつでもお帰りと迎え入れてくれる場であること。東京から初めて訪れた私のこころにもほっと灯されたこのあたたかみがあるように、この先も還りたいふるさととして、訪れた人の心に残り続けるのだろう。

佐竹 和歌子