文化による復興を貫いて、時代を記録し続けるまち

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ドイツ、フランクフルトから特急に乗って二時間弱。ドイツの地方都市人口20万のまちカッセルは、2012年夏、現代アートの芸術祭ドクメンタに湧いていた。ドクメンタとは5年に一度会期100日間、カッセルの地で開催される国際的な現代アートの祭典である。
世界中からアート界の先端として一目置かれ、批判批評共に厳しく受けるドクメンタであるが、カッセルのまちを訪れてみて感じたこと。それは、まちの文化的成熟、つまるところの、ドクメンタのある「日常」である。この名の知れないまちが、圧倒的なスケールと重厚感で展開される現代アートの作品群に符合し、世界中の来訪者を迎え入れる度量は一体何に起因しているのか。アートの質ではなく、まちとドクメンタの関係性といった視点で、検証してみる。
はじめて訪れたカッセルのドクメンタで、とても会場とまちの全ては周りきれなかったが、肌で感じたその様相から以下の3点にまとめる。

1つ目に、まちの歴史を起源としていること。第二次世界大戦の砲撃によるまちの崩壊からの復興、ナチスの文化芸術迫害からのアートの復権という大戦の負の歴史を昇華するためにドクメンタははじまった。その理念は、世界の政治的混乱、格差、貧困、戦争、経済危機など社会矛盾に対して強烈なメッセージを放ち続けている。まちの中に残っている戦争の爪痕は会場の一部となり、キュレーターやアーティストはまちの歴史や文脈に則ってドクメンタを創り上げる。

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2つ目に、まちにでれば、そこが会場であること。ドクメンタの会場は、カッセルのまちの主要部全てだ。メイン会場は、フリデリチアヌム美術館だが、自然史科学館、宮殿、通信博物館、ノイエギャラリー、グリム兄弟博物館などミュージアムはもちろん、中央駅や市庁舎、ホールといった公共施設。さらに、ショッピングモールや映画館、旧病院や倉庫など、極めつけは、125㌶のカールスアウエ公園。作品同士が会場別に遠隔でつながっていたり、常設展とのコラボレーションをみせていたり、作家がまちの構造を丹念に追った展開も汲み取れる。まちに繰り出せば、どんなアートに出くわすか、そしてそれを、誰と共有し、何と解釈するのか。まるで謎解きのミステリー、比類なき冒険心がくすぐられる。

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3つ目に、まちの市民の暮らしが見えること。まちの主要部を会場としているため、そこには当然そこで暮らしている人たちがいる。例えば、公園。多くはフリーの空間であり、作品の横を犬の散歩をしたり、芝生にくつろいだり、市民にとっての憩いの場所であることには変わりがない。また、市内の飲食店に入れば、自然に「ドクメンタにようこそ」と店員に声をかけられ、今年の楽しみ方のアドバイスくれる。隣の席のお客も一緒になって、会話に入る。ドクメンタには市民から総勢200名強のボランティアがスタッフとなって入り、受付やガイドツアーを会期中毎日行っている。50年にわたって13回開催してきた実績に裏打ちされる市民への浸透度は、当然半端ない。

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ドクメンタのために、世界中から様々な人が訪れるカッセル。日本では、現代アートといえば、観賞者を選んでしまわれがちだが、ドクメンタのこのバラエティはどうだろう。それだけドクメンタが、ヨーロッパやドイツの人々にとって、待ちに待ったエンタテイメントなのかもしれない。世界各国の来訪者をどっしり構えて受け入れるカッセルのまちは、悲惨な戦争を乗り越えて、多様性を受け入れる寛容な心が育ってきたまちの成熟と受けとめられないか。ドクメンタには、「時代を記録する」という意味も込められる。ドクメンタの先鋭のアートが発するメッセージは世界の今を伝える。そのドクメンタの開催の記録を記憶し続けるのは、カッセルのまちと来訪者だ。日本の芸術祭がこれからどのような道をたどるかは、そのまちで暮らす人々の度量にかかっている気がする。

佐竹和歌子