メディアテークは人と社会を、意思を持って、インターフェイスする
市民の知を共有資産に、過去と未来を結ぶ節点(ノード)

メディアテークの外観

せんだいメディアテークは、ミュージアムか。答えるに、非常に悩ましい。曖昧かつ多義に使われがちなメディアという言葉は一体何を意味するのか。
 
仙台市の中心、けやき並木が整然と整備された定禅寺通りの一角。外壁全面がピカピカのガラスで覆われ、そこは内なのか外なのか境界が見えない巨大な建物に出会う。それが、せんだいメディアテークだ。斬新かつ特徴的な伊東豊雄の建築に、図書館やギャラリー、スタジオ等のオープンスペース、カフェ、ショップなど多機能な複合施設の先駆として、2001年開館当初から一目置かれてきた。

一階エントランス

メディアテークの7階、情報発信のための創作活動のスペースであるスタジオに、「考えるテーブル」はあった。何面もの大きな黒板が並び、机や椅子までも黒板で出来ている。この日は、「震災時何をしていましたか」「震災後何が変わりましたか」について、ワークショップ参加者ひとりひとりの言葉が丁寧に、赤・白・黄色のチョークでイラスト交じりに残されていた。筆跡に垣間見えるのは、どんな言葉も発したありのままに書き留められていることだ。ここは、地域社会について、復興について、何かを決めるのではなく「考える」場であるという。その意味は、市民ひとりひとりが「伝える」「聞く」「書き留める」という行為を通して、自分に向き合い、また、お互いを理解し合うためにある。

考えるテーブル



2階映像音響ライブラリーの一角に、市民へのインタビューや復興の活動の様子を映像や写真で伝える展示スペースがあった。震災による影響に共に向き合い、考えるための「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれん!)の活動の一部だ。わすれん!では、市民や専門家が協働し、震災や復興の過程の記録を収集・アーカイブ、またNPOや市民団体の情報発信や記録制作を支援する活動を行っている。


わすれん!センターのWEB

 

映像や写真は、当時の様子をそのままに伝える大変貴重な資料だ。情報の発信や蓄積を市民サービスに位置づけていた館にとってはお得意としていたところではあるが、震災を契機に、その当事者でもあるが故に、現実をみつめ語られねばならない地域の姿、その文脈に、より一層の責務の重圧がのしかかったことだろう。今見て受け取れるのは、その重役を、ここでしかできない使命として果敢に挑み続けているプロジェクトの数々の生の姿だ。

メディアテークは、人の知や活動を地域の共有資産に、それぞれを結びつけ、育み、広げる。そこには、「地域社会のために、未来後世のために」という明確な意思があるからこそ、市民は安心して、力強く前進していけるのかもしれない。
 
せんだいメディアテークは、ミュージアムか。確信を持てる解がある。震災を乗り越え、仙台に生きている市民の姿を知ろうと歴史をたどる後世にとってみれば、今ここは、間違いなく、ミュージアムだ。

佐竹 和歌子