場づくりマーケティング・コンソーシアム

タグ: 地域社会

東京都世田谷区にある東京農業大学、世田谷通りをはさんだ向かいのけやき並木の通り沿いに「食と農」の博物館がある。東京農業大学の研究と教育の成果を発信し、「食と農」に触れ合う場を展示やイベントを通じて提供する、大学の情報交流拠点になっている。
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けやき並木を眺めることができるカフェ「プチラディッシュ」では、季節の野菜などを加えた料理や、卒業生がペルーで生産指導している「カムカムドリンク」などを提供。近所のママさんグループやご年配の友人同士がランチをしたり、お茶を飲んで楽しむ。その隣には、commercial spaceと題して、企業や協力団体の商品が紹介されている。多くある大学の奥まった博物館というイメージとはかけ離れた、明るくゆったりとしたスペースは、世田谷のまちに溶け込んだ居心地の良い空間としてふらりと立ち寄れるスポットになっている。
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館内をぐるりと歩けば企画展示を見ることが出来る。「古農具展」では、職人の手によって作られた古農具が、今の農大生から見た農具の美しさを表現した絵とともに飾られており、機能性だけでなく、見た目も美しさがあることを気づかせてくれる。
二階に行くと、ここの名物とも言うべき「醸造」の展示がある。壁一弁にずらりとならんだ、卒業生の酒造の一升瓶は圧巻だ。現在、全国にある1,600近くの日本酒の蔵元のうち、およそ8割はなんと東京農業大学の卒業生だという。「日本の酒器」コーナーには、珍しい徳利や杯などが並んでおり、戦時中の杯、海外に輸出されていた徳利、鶴の卵で出来た杯など、時代が生んだ酒の文化を見ることができる。 
その他にも115体の鶏の剥製展示がある。入口の大きな鶏の像、そして古農具展に置かれていた鶏などから連想が膨らみ、自然と関心も強くなる。展示はその生態、歴史文化、食など、1階で身近に触れたものから、ぐっと深くなって、農業の世界に触れることが出来る。
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博物館の南側に繋がるのは展示温室「バイオリウム」。「生き物」(バイオ=BIO)と「空間」(リウム=RIUM)、つまり「生き物の空間」だ。運営するのは東京農業大学から独立した進化生物学研究所。マダガスタルをはじめとして、進化生物学研究所が亜熱帯地方で調査し収集した研究材料であるの珍しい動植物を、本物に近いジャングルを味わえる温室のなかで観ることが出来る。夕方などは、学校帰りの小学生たちが遊びに来る。バナナを見に来たり、ワオレムールに会いに来たり、ケヅメリクガメに話しかけに来たり、イグアナを探しに来たり。ケヅメリクガメは週末などは、研究員とともに、ケヤキ通りを散歩する。散歩する人気者のケヅメリクガメは、研究所と地域を結ぶ斡旋人だ。
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毎週火曜と木曜には、研究員がツアーを行っている。「木ってそもそも何で出来ていると思います?」「日陰じゃないと生きられなくて、水がないと死んでしまう月下美人も、実はサボテンなんです」「トゲってなんであるんでしょうね?」、日常に溢れる植物にまつわる数々の疑問や、亜熱帯の植物に見られる想像もつかない現象が、研究員から直接、次々と聞ける。それも担当する研究員によって内容が違い、お客さんによって変えることもあるというから、何度訪れても探究心を掻き立てられる。
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博物館と反対側、馬事公苑に向かう出入り口は、バイオリウムショップが併設されている。ウーパールーパーやグッピー、古代魚、それからサボテンや珍しいバオバブの木などが売られている。また卒業生が作ったお味噌やジャム、新鮮な野菜が販売されている。「生き物相談室」は、誰もが生き物のことを聞くことが出来る研究所との窓口だ。専門家集団が答えてくれて、しかも敷居が低いという、心強さが人気の秘訣で、魚を飼っているお客さんや、植物好きのお客さんが、頻繁に訪れてはスタッフに質問する。
「食と農」の博物館の出入り口で誰もがふらりと入れるカフェと同じように、バイオリウムの出入り口もまた誰もが垣根なく入ることができる空間であり、実際の生き物に接する魅力を通じて、研究者と地域の人たちがつながる場になっている。
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東京農業大学は日本初の私立の農学校。創立以来、「実学主義」を理念に掲げる。「収穫祭」と呼ばれる学園祭は、学生たちの手による食の屋台が並び、野菜の無料配布なども実施され、地域のひとで賑わう。博物館の酒造のコーナーやショップの販売物など様々なところにもOBの協力があり、学生たちの一体的な協力活動は卒業しても変わらない。
そういった実学主義の理念や一体的な協力活動が、新たな「食と農」の博物館・「バイオリウム」にも貫かれている。バイオリウムは独立した研究組織であるが、企画からイベント、そして日常のやりとりまで、「食と農」の博物館と一体的に活動を展開する。それがより市民と研究機関をつなぐ場として相乗効果をもたらしている。
「食と農」の博物館そして「バイオリウム」は、創立以来の大学の理念を引き継ぎながら、研究と生活者を結ぶ新たな拠点として地域に溶け込んでいる。

「食と農」の博物館
http://www.nodai.ac.jp/syokutonou/

田中

山梨県甲府から車でおよそ1時間、最寄り駅の清里駅からも車で15分ほど。のどかなりんご園や遠くに拡がる山の風景になかに3つの連なった校舎が現れる。旧津金学校。明治・大正・昭和という三代に渡って増えたという校舎は、旧須玉町津金地区の教育の場として役割を担ってきた校舎である。
過疎化が進み、1992年に閉校となったが、今ではそれぞれが特色のある新たな活動の場として生まれ変わっている。「おいしい学校」「大正館」そして、その一番奥にある白とブルーのコントラストが映える木造の校舎、「津金学校」だ。
明治8年総研の津金小学校
 1階にあるカフェのメニュー看板で出迎えられ、受付に入る。早速入館チケットを買うと、おしゃれなだけでなく、ずいぶんと大きい。裏返して見ると、「80yen post card」と左上に書かれている。この入館チケット、葉書になっているのだ。もらっても捨てられてしまうのが普通であった単なるチケットを、訪れたひととそのひとの知り合いにつなぐものに変えたのだ。

 昨年まで旧北杜市須玉歴史資料館として活動してきた津金学校。歴史資料館として、展示コーナーには明治期からの学校にあった物々が並ぶ。1階の中央には古い足踏みオルガンやピアノ。ここではほとんどの楽器に自由に触れることができる。「寄贈根津嘉一郎」と書かれた日本の鉄道王からのピアノもある。「根津さんのピアノ」と親しまれたそうで、なんとその歴史的ピアノも自由に弾いて良いのだ。御夫婦で入ってきた御婦人の方が「まあ、触っていいの?」懐かしそうに、置いてあった楽譜を見て弾き始める。オルガンの音色が流れると、生徒たちの歌っていた風景を感じることができる。
オルガンを弾き出す
 2階にあがると、昭和30年代の様子が復元された教室。正面の黒板と教壇、世界地図に向かって木製のイス机が並ぶ。教壇には当時使われていた教科書と、授業のはじまりを知らせるベルが置いてある。こちらも触わってOK。振ってみると、思った以上に響きわたる大きな音にびっくりするかもしれない。オルガンの音色で感じたのと同様に、目の前に生徒たちが集まってくるような気がする。ここは学校だったという過去の歴史紹介の場ではなく、いまでも「ここは学校なのだ」という気配を訪れるものに感じさせる。
教壇に置かれた鐘を鳴らすと、授業が始まりそうな教室
 3階のとても急な階段を上がると、外から見るとチャペルのように見えた塔のなかは、大きな和太鼓がつりさげられている。太鼓楼だ。窓からは校庭の先に拡がるりんご園と森、そして南アルプスが一望できる。創建当時の子どもたちもこの景色を見ていたと言う。そしてもちろん、この階の太鼓も鳴らしてOK。鐘の変わりに鳴らしていたという太鼓は、とても新鮮な音であると同時に、この学校がいかに歴史の深さを体験できるのだ。

 2011年8月21日、津金学校は、「津金一日学校」を開いた。学校と地域住民の集い、新しい文化発信の場、にしようと企画された。校舎として子どもが登校するのは26年ぶりのことだ。子どもたちのにぎやかな声。卒業生からも喜びの声で沸いたそうだ。当日の授業は、「書道」華雪先生、「冒険」服部文祥先生、地元の食材にこだわって校舎内の給食室で作った給食、「ダンス」伊藤千枝先生など、通常の学校授業とはちょっと違う、見たことのない先生の聞いたことのない授業が開かれた。ホームページを訪れて、youtubeを見ていただければ、子どもたちの好奇心に満ち溢れた表情を見ることができる。
http://www.tsugane.jp/meiji/1dayschool/intro.htm
無題

地元新聞、口コミでの反響も広がり、今年も開催され、すぐに満員になったとのこと。この様子は、ちょうど今「津金一日学校」写真展にて見ることができる。開校から135年の時を経て、卒業生が、学校当時を知らない子どもたちが、地域のひとたちが、みんなが集まり学ぶ場として開かれた授業。津金学校は、昔を知る展示資料館ではなく、新しい学びの場としてこれからの可能性を教えてくれるミュージアムだ。

田中摂


メディアテークは人と社会を、意思を持って、インターフェイスする
市民の知を共有資産に、過去と未来を結ぶ節点(ノード)

メディアテークの外観

せんだいメディアテークは、ミュージアムか。答えるに、非常に悩ましい。曖昧かつ多義に使われがちなメディアという言葉は一体何を意味するのか。
 
仙台市の中心、けやき並木が整然と整備された定禅寺通りの一角。外壁全面がピカピカのガラスで覆われ、そこは内なのか外なのか境界が見えない巨大な建物に出会う。それが、せんだいメディアテークだ。斬新かつ特徴的な伊東豊雄の建築に、図書館やギャラリー、スタジオ等のオープンスペース、カフェ、ショップなど多機能な複合施設の先駆として、2001年開館当初から一目置かれてきた。

一階エントランス

メディアテークの7階、情報発信のための創作活動のスペースであるスタジオに、「考えるテーブル」はあった。何面もの大きな黒板が並び、机や椅子までも黒板で出来ている。この日は、「震災時何をしていましたか」「震災後何が変わりましたか」について、ワークショップ参加者ひとりひとりの言葉が丁寧に、赤・白・黄色のチョークでイラスト交じりに残されていた。筆跡に垣間見えるのは、どんな言葉も発したありのままに書き留められていることだ。ここは、地域社会について、復興について、何かを決めるのではなく「考える」場であるという。その意味は、市民ひとりひとりが「伝える」「聞く」「書き留める」という行為を通して、自分に向き合い、また、お互いを理解し合うためにある。

考えるテーブル



2階映像音響ライブラリーの一角に、市民へのインタビューや復興の活動の様子を映像や写真で伝える展示スペースがあった。震災による影響に共に向き合い、考えるための「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれん!)の活動の一部だ。わすれん!では、市民や専門家が協働し、震災や復興の過程の記録を収集・アーカイブ、またNPOや市民団体の情報発信や記録制作を支援する活動を行っている。


わすれん!センターのWEB

 

映像や写真は、当時の様子をそのままに伝える大変貴重な資料だ。情報の発信や蓄積を市民サービスに位置づけていた館にとってはお得意としていたところではあるが、震災を契機に、その当事者でもあるが故に、現実をみつめ語られねばならない地域の姿、その文脈に、より一層の責務の重圧がのしかかったことだろう。今見て受け取れるのは、その重役を、ここでしかできない使命として果敢に挑み続けているプロジェクトの数々の生の姿だ。

メディアテークは、人の知や活動を地域の共有資産に、それぞれを結びつけ、育み、広げる。そこには、「地域社会のために、未来後世のために」という明確な意思があるからこそ、市民は安心して、力強く前進していけるのかもしれない。
 
せんだいメディアテークは、ミュージアムか。確信を持てる解がある。震災を乗り越え、仙台に生きている市民の姿を知ろうと歴史をたどる後世にとってみれば、今ここは、間違いなく、ミュージアムだ。

佐竹 和歌子 


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