滋賀、伝統的建造物群保存地区である近江八幡のまちにひっそりと、それでいて鋭く存在を象徴するミュージアムがある。今次々と日本国内にも誕生しはじめるアール・ブリュットの美術館、そのモデルにもなっている。障がいのある人の表現活動を展示、さらに「障がい者と健常者」「福祉とアート」「アートと地域社会」など、様々なボーダー(境界)を超えていくことに取り組むミュージアム、“ボーダレス・アートミュージアムNO-MA”だ。
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隣家と同じ様式の板塀からなかを見ると、入口の脇にある牛乳瓶入れ、小石で敷き詰められた庭、手入れされた植木、開かれたガラス扉の奥に灯る白熱灯。懐かしい気持ちと、自分を待っていてくれているかのような温かい光景が目の前に広がる。展示された作品の数々は、そんな町屋の生活感を残した部屋に丁寧に飾られている。

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ボーダレス・アート、このコンセプトは展示のコンセプトそのものにもなっている。あるときは、畳のひとまに現代アーティストと障がい者のアート作品が説明書きも最小限に並べてある。アール・ブリュットとそうでないアートの違いはなんなのかを直接的に訴えかけるのではない。展示を通じて、「人の表現にボーダーはあるのか」「表現活動の根底にあるものに、違いはあるのだろうか」、それを訪れるものに感じさせるのだ。

滋賀県では、戦後まもなく「日本の障がい者福祉の父」とも言われる糸賀一雄をはじめとした幾人かが、障害のある児童等の教育・医療施設「近江学園」を創設。1946年、本当に戦後まもなくである。そこでは信楽の粘土を利用した陶芸など造形活動が当初から取り入れられ、1954年からは展覧会も始まった。2010年にパリで開催され12万人を集めた「アール・ブリュット・ジャポネ」展では、出展作家のおよそ3分の1が滋賀出身の作家だったとか。日本にアール・ブリュットという言葉が浸透する何年も何十年も前から、この地には障がい者の造形活動に真摯に取り組み、それが脈々と受け継がれ、今日につながっているのだ。

美術館として町屋を選んだのは、敷居の高い空間ではなく、人が暮らしていた空間でこそ、アール・ブリュットの作品が生活に溶け込むと考えらたからだったという。NO-MAは先導的で挑戦的なミュージアムだ。しかし、その施設は奇をてらうことなく、昔ながらの町屋に溶け込み、広告や刊行物も決して主張しすぎない。むしろ伝統的建造物群保存地区という、実は失われかけている日常、生活の場とも言える街並みと、そういった挑戦が出来る土壌が両立していることでこの地の魅力をさらに深いものにしている。ボーダレス・アートは障がい者か健常者かというボーダーだけでなく、生活という場の限りない可能性をそっと教えてくれるミュージアムだ。

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田中