場づくりマーケティング・コンソーシアム

タグ: メディア

 旅行や行楽に訪れたくなる場所とは?名店がある、世界遺産がある、自然豊か等々それら様々な要因が、こちらの事情と合わさって、貴重な時間とお金を使っても足を向かわせる場所。

 まちの外から人を呼び込むこと。いわゆる、観光によるまちづくり。観光地に人が訪れ、観光地周辺のまちなかを回遊してもらい、人の賑わいが生まれ、飲食や物販で経済が潤う。日本全国どこの自治体も声高に「○△□なまちへ、ようこそ」と、言葉違えど似たようなことを掲げる。

 だが、自治体が地元で一生懸命叫んでいても、よっぽど、名の知れた観光地か最近テレビ等で取り上げられた話題性がなければ、そもそもだれも気が付かない。

 はっきり言わせてもらえば、観光のための集客とは、メディア戦略だ。テレビ、映画、雑誌、芸能人、イベント、交通広告を民間のネットワークにのせて、それなりに着飾って、それなりに大々的に打てば、それなりの数は見込めるだろう。ただしそこには多大なるコストがかかる。そして、そうしたカンフル剤を“それなりに”打ち続けることに、限界もあるだろう。

 だからこそ、観光にも、「場づくり」の発想が有効だ。それは、地域のミュージアムをつくる取り組みと同じ。遠く離れている人にもそのまちの魅力をいつでも届けられるように、いつ来ても新しい発見があるように、地域に根を張った情報発信を地道に続けていく。そこで欠かせないのが、その土地で暮らしている人たち自身も、そのメディアのユーザーであり、コンテンツであることだ。

 
 ひとつ事例を紹介する。広島県福山市鞆の浦の観光サイト「鞆物語」をのぞいてみてほしい。

http://tomomonogatari.com/ 


図1

 鞆の浦は、瀬戸内海の港町として、町屋や寺社が連なる美しい景観を歴史とともに守り伝えてきた。坂本竜馬のいろは丸事件や「崖の上のポニョ」など数々の映画のモデルやロケ地となった観光地だ。実際に訪れてみて、小さな町であるが、平日の雨であったに関わらず団体ツアー客や若い女の子のグループも訪れ、まちが人を受け入れている。

 まちのなかは迷路のような小道が続き、歩いていて至る所に休む箇所なのか、何も書いていなくても、机と椅子をならべて人が集まれるところが点在している。坂が多く、お年寄りの行き来を想ってのことかもしれない。全体的にのんびりしていて時間を忘れてしまうような、そんなまちのマイペースさを第一に感じた。

 まちの規模感も一日で歩いてゆっくり過ごすのにちょうどいいサイズだったのかもしれない。そんなとき、傍らに、「鞆物語」の人や場所のストーリーがその土地への好奇心を強めた。また、「鞆物語」の人たちに、気軽に出会い話を聞くこともすぐ叶った。「鞆物語」の人たちは、外から訪れる人との出会いや交流を楽しみに、人が訪れる美しいまちを大事に残し伝えていくことを一番に想っている。その媒介となっているのが、「鞆物語」だ。

 「鞆物語」は、鞆の浦出身の人と現地の人たちの有志ではじまった観光サイトだ。まちなみや海、暮らす人々のありのままの姿を美しい写真と言葉とともに伝える。そのデザインはもちろん魅力的だが、情報の更新や発信は、子どもから大人まで現地で暮らす様々な人たちが行っている。また、その土地のことを物語として「伝える」ことをコンセプトに貫いている。そこから見える鞆の浦は、観光地なのだけど、観光地ではない。もどかしい言い方であるが、その土地の暮らしの息吹が聞こえてくる。

そういったメディアは、暮らしている人が自分たちのまちを、次の世代まで残し伝えていくことを何より一番に想っている証拠になる。そして、それが、外からの来訪動機にもなる得る。

 どの自治体も観光地も、観光サイトを当たり前にもっているわけだが、そこがきっかけとなって訪れている観光客はどれくらいいるだろうか。右に倣えと派手な観光施策にあくせくする以前に、まちの場が持つストーリーに目をむけ、そこで暮らす人たちとそのまちをどう伝えるか、地道に丁寧に向き合う。そのプロセスの伝播が、総体としてのまちの魅力をつくっていく。

ということで、観光も場づくり。
観光サイトも場づくり。

(サタケ) 


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山口情報芸術センター、通称「YCAM(ワイカム)」。東の仙台メディアテーク、西のYCAMとも言われる、図書館とメディア系の場が一体となった空間だ。
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YCAMは、メディアテクノロジーを軸とする新しい芸術文化の創造・発信を担い、また併設する山口市立中央図書館と一体となってまちづくりの中心的な役割を担う施設として2003年にオープンした。館内は、タイプの異なる3つのスタジオや創作・学習室、カフェ、そして最新の映像情報機器とそれをサポートするスタッフを擁した「YCAM InterLab」があり、隣には図書館がある。
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 これまでダンスや演劇といった身体表現、メディアアートや現代美術の企画展、市民の美術発表の場、演劇上演やワークショップ、ミニシアターの上映などなど、さまざまな形でクリエイティブな活動を行っている。
オリジナルの長期ワークショップシリーズも特徴的だ。ボランティアに参加する市民はコラボレーターと呼ばれ、アーティストと共に本気で制作に協力する。2004年にはピンボールカメラを、2005年には市内の記憶収集を、2007年には本制作のプロセスを、2008年にはパフォーマンスを追求するプロジェクトなどを行った。2005年にアーティストグループフタボンコと市民コラボレーターグループ「オモイデコレクタス」とともに、市内にあるれる記憶収集を追求したプロジェクトは、日めくり式万年カレンダーとして商品化され今でも買うことができる。
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メディアテクノロジーと社会を考えるシリーズでは、携帯電話のカメラを使ったルールとマナーの意味を追求する「ケータイ・スパイ・大作戦」を実施。参加者自らが、メディア社会のルール作りに参加することの意義をとらえようとした試みだ。そのほかにも、一流の講師を招き、市民が主体となって参画するワークショプが開かれている。
 
2012年9月、館内の一角ではイギリスから研究に訪れたメディアアーティストがバーチャル3D映像の実験をしていた。平日の学校帰りに図書館に来た子どもたちが、その公開画像に何気なく触り、チェックをしていたアーティスト本人と楽しそうにジェスチャーを交わす。海外の最先端のメディアアートを研究するアーティストの作品に触れ、語り合う場が、子どもたちにとってはもはや日常の一部となっているのだ。
創造の過程を地域とともに歩んできたことで、YCAMは最先端の創造の場でありながら、垣根の低い存在になっているのかもしれない。
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2013年に10周年を迎える。10周年記念は「アートと環境の未来・山口 YCAM10周年記念祭」を開く。 文化施設としての枠を超えた次世代を見通すアートとメディアの新しい関係性の創造と発信拠点として、自然環境から情報環境までを包括する「環境」と「アート」の未来を考え次の10年に向けた試みを、山口から発信していく。

田中摂 

メディアテークは人と社会を、意思を持って、インターフェイスする
市民の知を共有資産に、過去と未来を結ぶ節点(ノード)

メディアテークの外観

せんだいメディアテークは、ミュージアムか。答えるに、非常に悩ましい。曖昧かつ多義に使われがちなメディアという言葉は一体何を意味するのか。
 
仙台市の中心、けやき並木が整然と整備された定禅寺通りの一角。外壁全面がピカピカのガラスで覆われ、そこは内なのか外なのか境界が見えない巨大な建物に出会う。それが、せんだいメディアテークだ。斬新かつ特徴的な伊東豊雄の建築に、図書館やギャラリー、スタジオ等のオープンスペース、カフェ、ショップなど多機能な複合施設の先駆として、2001年開館当初から一目置かれてきた。

一階エントランス

メディアテークの7階、情報発信のための創作活動のスペースであるスタジオに、「考えるテーブル」はあった。何面もの大きな黒板が並び、机や椅子までも黒板で出来ている。この日は、「震災時何をしていましたか」「震災後何が変わりましたか」について、ワークショップ参加者ひとりひとりの言葉が丁寧に、赤・白・黄色のチョークでイラスト交じりに残されていた。筆跡に垣間見えるのは、どんな言葉も発したありのままに書き留められていることだ。ここは、地域社会について、復興について、何かを決めるのではなく「考える」場であるという。その意味は、市民ひとりひとりが「伝える」「聞く」「書き留める」という行為を通して、自分に向き合い、また、お互いを理解し合うためにある。

考えるテーブル



2階映像音響ライブラリーの一角に、市民へのインタビューや復興の活動の様子を映像や写真で伝える展示スペースがあった。震災による影響に共に向き合い、考えるための「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(わすれん!)の活動の一部だ。わすれん!では、市民や専門家が協働し、震災や復興の過程の記録を収集・アーカイブ、またNPOや市民団体の情報発信や記録制作を支援する活動を行っている。


わすれん!センターのWEB

 

映像や写真は、当時の様子をそのままに伝える大変貴重な資料だ。情報の発信や蓄積を市民サービスに位置づけていた館にとってはお得意としていたところではあるが、震災を契機に、その当事者でもあるが故に、現実をみつめ語られねばならない地域の姿、その文脈に、より一層の責務の重圧がのしかかったことだろう。今見て受け取れるのは、その重役を、ここでしかできない使命として果敢に挑み続けているプロジェクトの数々の生の姿だ。

メディアテークは、人の知や活動を地域の共有資産に、それぞれを結びつけ、育み、広げる。そこには、「地域社会のために、未来後世のために」という明確な意思があるからこそ、市民は安心して、力強く前進していけるのかもしれない。
 
せんだいメディアテークは、ミュージアムか。確信を持てる解がある。震災を乗り越え、仙台に生きている市民の姿を知ろうと歴史をたどる後世にとってみれば、今ここは、間違いなく、ミュージアムだ。

佐竹 和歌子 


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