※現在の掲載スポットは、富士吉田市地域おこし協力隊の隊員と慶應義塾大学の学生らが協働調査を通じて収集したものです。今後も、随時、スポットを追加していく予定です。
地域の魅力発信・活性化支援プラットフォーム「富士山じかん」
※現在の掲載スポットは、富士吉田市地域おこし協力隊の隊員と慶應義塾大学の学生らが協働調査を通じて収集したものです。今後も、随時、スポットを追加していく予定です。
●小さい町の小さい図書館
2009年、ひとを呼び込む方法を知り尽くした小布施町の町民が作った図書館が「まちとしょテラソ」である。
設計を公開プレゼンテーションで選定したり、館長を公募で選んだりとオープン前から「さすが小布施」と言わしめる住民主導ぶりを発揮し話題となった。
ワンフロアの館内は見通しが良い。間仕切りは壁ではなく本棚などの家具で行い、たった3本の柱が屋根を支えている。多目的室や事務室として端のほうに小さな部屋があるが、間仕切りは半透明で全部開放することもできる。館内は図書館だというのに静かな音楽が流れている。飲食コーナーがあり、一日中でも図書館にいられるための工夫もある。「まちとしょテラソ」は9時の開館から20時の閉館までさまざまな人が訪れる。朝晩は借りた本を足早に返却する勤め人、午前中から午後にかけて小さな子どもたちとお母さん、お年寄りがのんびりと過ごす、学校が終われば児童、学生で机が埋まる。見通しの良い館内は利用者それぞれが思いやりを持って気持ちよく図書館を使う心を育てるかのようだ。
5種類の電球は星をあらわし、森の中の図書館をイメージしている
計画段階には「交流センター」と仮称されているように、そもそも「学びの場」「子育ての場」「交流の場」「情報発信の場」の4つを柱として「交流と創造を楽しむ、文化の拠点」と位置づけたコンセプトのもと計画されているのだ。
読み聞かせ会やお話の会など読書に親しむイベント、「美場テラソ」「親子で楽しく身体を動かそう」「テラソ美術部」などワークショップも開館以来数多く開催してきた。これらは職員やボランティアの特技を生かした企画や町民の持ち込みの企画など参加しやすいのが特徴だ。
別会場の演劇祭の登場人物たちがテラソに突然あらわれて、来館者にチラシ配り?!
年間来館者数は開館前の5倍以上、年間14万人を超えている。
館の関連行事として、まちとしょテラソ一箱古本市(リンゴ箱に中古本を入れ、販売する古書のフリーマーケット)、お肴謡伝承活性化プラン(伝統文化継承事業)など館外の活動も数多く実施してきた。
2013(平成25)年8月、公募による2代目の館長として出版編集者の関良幸氏が就任した。
関さんは開館から4年が経過するなかで拡大してきた、「まちとしょテラソ」の活動のうち、館内の活動、特に文字に親しみ本を選ぶ手伝いをすることで、読む・書く・作るといった表現活動に寄与する活動に力を入れていきたいと話す。
●まちじゅう図書館
小布施には住民が主体となって景観整備に取り組んできた経緯がある。住民の方が自ら観光客をおもてなしする「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」の考え方が根付いている。2000(平成12)年から始まった「おぶせオープンガーデン」は店舗や個人宅が庭を開放して自由に行き来できる空間とし「花であふれるまちづくり」を進めている。現在120軒ほどが参加し、中心市街地のあちこちにオープンエリアが点在する。
まちじゅう図書館は町内のお宅や店舗、畑のちょっとしたスペースに本棚を置いて自分が館長さんになった気持ちで大好きな本を置き、本がある場を通じて人と人が繋がっていくことを願って始まった活動だ。お客さんが増えるわけではないけれど、本によって会話が生まれているという。2012(平成24年)10月に10軒でスタートし、100件を目指す。
醤油醸造・乾物を扱っていた旧商店を改築した「かねいちくつろぎサロン」は自宅の書籍をならべ、来訪者が勝手にくつろげる食卓もある。試験勉強の中学生が集ったり、おもちゃがあるので親子連れも。本好きのオーナーのため本はどんどん増えるので返さなくてもいい仕組みだそうだ。自宅の本を置いていく人もいる。
まちじゅう図書館としては最大級の規模?!「かねいちくつろぎサロン」
小布施から地方の新しい可能性を見つめる「小布施若者会議」には日本中から200名の若者を招待する。「100人ホームステイ」や「まちなかセッション」には町民の協力によって成立するプログラムも含まれている。「まちとしょテラソ」もオールナイトセッションの会場となる。
中心市街地に始まったまちづくりを周辺農村部にひろげ、日本の“地方”代表として世界に目を向けている小布施。これからも地域活性のフロントランナーとして動向から目が離せない。 (白井)
旅行や行楽に訪れたくなる場所とは?名店がある、世界遺産がある、自然豊か等々それら様々な要因が、こちらの事情と合わさって、貴重な時間とお金を使っても足を向かわせる場所。
まちの外から人を呼び込むこと。いわゆる、観光によるまちづくり。観光地に人が訪れ、観光地周辺のまちなかを回遊してもらい、人の賑わいが生まれ、飲食や物販で経済が潤う。日本全国どこの自治体も声高に「○△□なまちへ、ようこそ」と、言葉違えど似たようなことを掲げる。
だが、自治体が地元で一生懸命叫んでいても、よっぽど、名の知れた観光地か最近テレビ等で取り上げられた話題性がなければ、そもそもだれも気が付かない。
はっきり言わせてもらえば、観光のための集客とは、メディア戦略だ。テレビ、映画、雑誌、芸能人、イベント、交通広告を民間のネットワークにのせて、それなりに着飾って、それなりに大々的に打てば、それなりの数は見込めるだろう。ただしそこには多大なるコストがかかる。そして、そうしたカンフル剤を“それなりに”打ち続けることに、限界もあるだろう。
だからこそ、観光にも、「場づくり」の発想が有効だ。それは、地域のミュージアムをつくる取り組みと同じ。遠く離れている人にもそのまちの魅力をいつでも届けられるように、いつ来ても新しい発見があるように、地域に根を張った情報発信を地道に続けていく。そこで欠かせないのが、その土地で暮らしている人たち自身も、そのメディアのユーザーであり、コンテンツであることだ。
ひとつ事例を紹介する。広島県福山市鞆の浦の観光サイト「鞆物語」をのぞいてみてほしい。
鞆の浦は、瀬戸内海の港町として、町屋や寺社が連なる美しい景観を歴史とともに守り伝えてきた。坂本竜馬のいろは丸事件や「崖の上のポニョ」など数々の映画のモデルやロケ地となった観光地だ。実際に訪れてみて、小さな町であるが、平日の雨であったに関わらず団体ツアー客や若い女の子のグループも訪れ、まちが人を受け入れている。
まちのなかは迷路のような小道が続き、歩いていて至る所に休む箇所なのか、何も書いていなくても、机と椅子をならべて人が集まれるところが点在している。坂が多く、お年寄りの行き来を想ってのことかもしれない。全体的にのんびりしていて時間を忘れてしまうような、そんなまちのマイペースさを第一に感じた。
まちの規模感も一日で歩いてゆっくり過ごすのにちょうどいいサイズだったのかもしれない。そんなとき、傍らに、「鞆物語」の人や場所のストーリーがその土地への好奇心を強めた。また、「鞆物語」の人たちに、気軽に出会い話を聞くこともすぐ叶った。「鞆物語」の人たちは、外から訪れる人との出会いや交流を楽しみに、人が訪れる美しいまちを大事に残し伝えていくことを一番に想っている。その媒介となっているのが、「鞆物語」だ。
「鞆物語」は、鞆の浦出身の人と現地の人たちの有志ではじまった観光サイトだ。まちなみや海、暮らす人々のありのままの姿を美しい写真と言葉とともに伝える。そのデザインはもちろん魅力的だが、情報の更新や発信は、子どもから大人まで現地で暮らす様々な人たちが行っている。また、その土地のことを物語として「伝える」ことをコンセプトに貫いている。そこから見える鞆の浦は、観光地なのだけど、観光地ではない。もどかしい言い方であるが、その土地の暮らしの息吹が聞こえてくる。
そういったメディアは、暮らしている人が自分たちのまちを、次の世代まで残し伝えていくことを何より一番に想っている証拠になる。そして、それが、外からの来訪動機にもなる得る。
どの自治体も観光地も、観光サイトを当たり前にもっているわけだが、そこがきっかけとなって訪れている観光客はどれくらいいるだろうか。右に倣えと派手な観光施策にあくせくする以前に、まちの場が持つストーリーに目をむけ、そこで暮らす人たちとそのまちをどう伝えるか、地道に丁寧に向き合う。そのプロセスの伝播が、総体としてのまちの魅力をつくっていく。
ということで、観光も場づくり。観光サイトも場づくり。
(サタケ)