場づくりマーケティング・コンソーシアム

日常にあふれる不思議さに、目を見はる喜びを教えてくれる場所
世界一小さな科学館は、世界一身近にある科学館

内臓解剖タイム

この日、いのちのけんきゅう展の目玉のワークショップがはじまった。それも、「ブタの内臓観察タイム」。待っていましたと言わんばかりに子どもたちが、わっと中央のテーブルに集まる。用意されたのは、本物の内臓。肝臓や胆のう、胃、小腸、大腸、眼球や肺など次々に机に並べられる。
「これは、小腸か大腸かどっちだと思う?」
「小腸は血液を循環させるために赤いのですよ。」
「小腸は、栄養を吸収するためにあるから、大腸より長いんだよ。」
「じゃあ、実際に肺を膨らませるよ~。よぉ~~く見てみて!」
「おぉ~!!こんなに膨らむんだ!横隔膜ってこんなふうに動くんだ!」
子どもたちは目を輝かせながら、学芸員の山浦さんの一挙一動に食い入り、質問に対して我先に応えようとする。大人顔負けの受け答え。

館内

科学は生活の中にある。そんなことを私に教えてくれたのは、逗子にある世界一小さな科学館、理科ハウス(LiCa・HOUSe)だ。身の回りの生活にはじまり、果ては、宇宙、時空を超えて、自らの心の内から湧き上がるどうして?なぜ?に向き合い、物事の原理原則を問う。不思議さに目をみはり、その謎を解き明かしていく知の喜びを体験することが科学の根本だろう。「どうして葉っぱは紅くなるの?」「どうして月はついてくるの?」幼い子どものささやかな謎かけだって立派に科学している。

理科ハウスでは、誰もが、身の回りの不思議さに目をみはり、その謎を解き明かしていく発見の驚きに感嘆を上げる。「感じる」、「見つける」、「知る」、そしてそれをまわりに「伝える」。その楽しさや面白さに火を点けてくれる場所だ。

ほぼ宝石ショップ

理科ハウスの展示もワークショップも、「本物を見せること」、「問いかけにはじまり、手を動かして考えさせること」、そして、「学芸員と来館者、来館者同士の生の対話が生まれること」に終始徹底していた。企画も展示も、全て、手づくり。スタッフは、森館長と山浦学芸員の二人だけ。二人とも、フル稼働だ。だがその中で、子どもたち同士で、はたまた、子どもが親に、ねぇねぇ聞いてと教え合いが自然に始まっている。考えて試したその先に手に入れたことは何でも嬉しい。

外観

「開館の準備から今まで、いつも科学を身近なものにするためにはどうすればいいのかをひたすら模索してきました。」

そう語るのは、森館長。理科ハウスが開館したのは2008年の5月のこと。館長の森さんが逗子のこの場所に、建物の設計から携わり、私設のミュージアムとして開館した。かつてPTA仲間だった山浦さんに声をかけ、二人で科学を身近に感じられる地域の科学館をつくろうと計画が立ち上がった。

理科ハウスの資金源は、わずか100円の入場料(中学生以下は無料)と、オリジナルの周期表Tシャツや科学キット、などショップで販売するグッズ、出張講座、そして、人の寄付や善意から成る。それでもひとつのミュージアムを運営していくのに、まだまだ全然足りない。日本では、ミュージアムどころか文化へ寄付をするという行為が一向に根付いていない。国や自治体から助成金や補助金をもらう道もあるが、理科ハウスはそれをあえて選ばない。むしろ、その予算を学校の理科教育の充実に充ててほしいという。森館長は、こう続けた。

「どこの科学館でもそうですが、助成金なしに経営していくのはなかなか大変です。それでも、地域の人やまちの人にその存在が必要と認められれば、何かきっと道はあるにちがいないと楽観的な私はいつも思います。利用者にとって、科学が身近になる場が必要と思ってもらえるように、その対価への意識を変えることからはじめていきたいと思っています。」

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「科学の研究者、一般市民、そして子どもたちが、科学について語れる場所、それが理科ハウスです。多くの人に支えられていることに感謝をしながら、地域の科学館としてより一層親しんでもらえるよう、まだまだやりたいことは、たくさんあるね。」

森館長と山浦さんは、楽しそうに笑う。

科学が身近になるとは、どういうことか再び問う。身の回りにある不思議さに目を向けることから広がる世界は、果てしなく大きく、新鮮だ。そしてそれを受け止めてくれる存在は、家庭にも、学校にも、自分の傍にあってほしい。大人も子どもも一緒になってその不思議さに目を向けられる場所。不思議の謎を解くとっておきのヒントを教えてくれる、ご近所にふらっと訪ねられる科学館こそ、これからのまちをつくる新しい仲間なのかもしれない。

佐竹 和歌子

愛媛県今治市。海岸沿いに続く今治の工業地帯を抜けてのどかな田園風景に入り、そのまま少し山あいに入っていくと、「タオル美術館」と書かれた歩道橋が見えてきます。その歩道橋の脇に立つ、西洋風の大きな建物がタオル美術館です。

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この美術館は地元のタオルメーカー・一広株式会社の一事業として誕生しました。一広株式会社を含むグループの名前はその名も「タオル美術館グループ」。美術館の運営はそのグループの中のタオル美術館ICHIHIROが担っています。

私たちの日常品として欠かすことのできないタオル。そのタオルをテーマにした美術館というと、皆さんはいったいどんな空間を想像するでしょうか。タオルのアートってどんな感じなんだろう。期待を胸にギャラリー入口へ向かいました。入場チケットの代わりになっている、オリジナルのハンドタオルを貰って中へ進みます。

まず最初に迎えられるのは、タオルの製造工程が見学できるエリア。縦に長い部屋に沿って機械がずらりと並び、実際に稼動をしている様子を見学できます。

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そのエリアを抜けると、タオルアートのエリアへ。

そこには本当に絵画を観るかのような感覚で、アーティストの原画をそのまま表現し、額縁に入ったタオルアートの数々が並んでいました。タオルに絵が織り込まれていたり、タオルを組み合わせて絵を表現したり、その芸術性の高さもさることながら、タオルの絵本やのぞき穴からアートをのぞく見せ方など、見学者を楽しませる工夫もたくさんみられます。いつも美術館でみるアート作品とはちょっと違う驚きを与えつつも、タオルの質感が織りなす、どこか親しみやすく、ほっとする雰囲気がそこには溢れていました。

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製造メーカーが、その産業を展示する博物館・展示場は多いですが、「産業を美術品に仕立てて展示する美術館」というのは非常にめずらしいのではないのでしょうか。タオルの可能性と、アートの力を感じることができました。

さて、タオル美術館はアートを楽しむだけの空間ではありません。ギャラリーを出ると、そこにはたくさんのショップがあり、様々なタオルグッズを買うことができます。さすがタオルの総合メーカーと思わせる品揃えです。その場で刺繍のサービスもあり、百貨店に行くよりも、ここに来た方が目当てのタオルを見つけられるのではないかと思いました。
そしてもう一つの目玉は2階の物産コーナー。今治の物産品が所狭しと並んでいます。地元の人も、「ここに来れば今治のお土産はほとんど手に入る」と言うほどの品揃え。

その他にも広い庭園とレストランを利用してできるウェディングサービスや自社経営のカフェなど、充実したサービスで様々な利用者を迎え入れていました。

広報の十倉さんにお話を伺うことができました。いわく、タオル美術館のこだわりは「ここにしかないオンリーワン」。タオルアートの独自性はもちろん、物販も、ここに来ないと買えないものを用意すること。タオルグッズだけでなく、地元のお菓子メーカーと共同でオリジナル商品を開発する、カフェはテナントでなく自社経営にするなど、タオル事業以外でも徹底した「オンリーワン」にこだわっていました。そういったこだわりもあり、経営の約3分の2は物販等ショップの売り上げで賄えているという、美術館としてだけでなく商業施設としても参考にしたい経営力の高さがうかがわれました。

タオル産業をアートという新しい面から支え、今治の観光・商業活性化にも貢献する「タオル美術館」は他の地場産業や観光事業にも多くのヒントを与えてくれる、そんな美術館だと思います。

黒木 奈々恵

文化による復興を貫いて、時代を記録し続けるまち

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ドイツ、フランクフルトから特急に乗って二時間弱。ドイツの地方都市人口20万のまちカッセルは、2012年夏、現代アートの芸術祭ドクメンタに湧いていた。ドクメンタとは5年に一度会期100日間、カッセルの地で開催される国際的な現代アートの祭典である。
世界中からアート界の先端として一目置かれ、批判批評共に厳しく受けるドクメンタであるが、カッセルのまちを訪れてみて感じたこと。それは、まちの文化的成熟、つまるところの、ドクメンタのある「日常」である。この名の知れないまちが、圧倒的なスケールと重厚感で展開される現代アートの作品群に符合し、世界中の来訪者を迎え入れる度量は一体何に起因しているのか。アートの質ではなく、まちとドクメンタの関係性といった視点で、検証してみる。
はじめて訪れたカッセルのドクメンタで、とても会場とまちの全ては周りきれなかったが、肌で感じたその様相から以下の3点にまとめる。

1つ目に、まちの歴史を起源としていること。第二次世界大戦の砲撃によるまちの崩壊からの復興、ナチスの文化芸術迫害からのアートの復権という大戦の負の歴史を昇華するためにドクメンタははじまった。その理念は、世界の政治的混乱、格差、貧困、戦争、経済危機など社会矛盾に対して強烈なメッセージを放ち続けている。まちの中に残っている戦争の爪痕は会場の一部となり、キュレーターやアーティストはまちの歴史や文脈に則ってドクメンタを創り上げる。

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2つ目に、まちにでれば、そこが会場であること。ドクメンタの会場は、カッセルのまちの主要部全てだ。メイン会場は、フリデリチアヌム美術館だが、自然史科学館、宮殿、通信博物館、ノイエギャラリー、グリム兄弟博物館などミュージアムはもちろん、中央駅や市庁舎、ホールといった公共施設。さらに、ショッピングモールや映画館、旧病院や倉庫など、極めつけは、125㌶のカールスアウエ公園。作品同士が会場別に遠隔でつながっていたり、常設展とのコラボレーションをみせていたり、作家がまちの構造を丹念に追った展開も汲み取れる。まちに繰り出せば、どんなアートに出くわすか、そしてそれを、誰と共有し、何と解釈するのか。まるで謎解きのミステリー、比類なき冒険心がくすぐられる。

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3つ目に、まちの市民の暮らしが見えること。まちの主要部を会場としているため、そこには当然そこで暮らしている人たちがいる。例えば、公園。多くはフリーの空間であり、作品の横を犬の散歩をしたり、芝生にくつろいだり、市民にとっての憩いの場所であることには変わりがない。また、市内の飲食店に入れば、自然に「ドクメンタにようこそ」と店員に声をかけられ、今年の楽しみ方のアドバイスくれる。隣の席のお客も一緒になって、会話に入る。ドクメンタには市民から総勢200名強のボランティアがスタッフとなって入り、受付やガイドツアーを会期中毎日行っている。50年にわたって13回開催してきた実績に裏打ちされる市民への浸透度は、当然半端ない。

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ドクメンタのために、世界中から様々な人が訪れるカッセル。日本では、現代アートといえば、観賞者を選んでしまわれがちだが、ドクメンタのこのバラエティはどうだろう。それだけドクメンタが、ヨーロッパやドイツの人々にとって、待ちに待ったエンタテイメントなのかもしれない。世界各国の来訪者をどっしり構えて受け入れるカッセルのまちは、悲惨な戦争を乗り越えて、多様性を受け入れる寛容な心が育ってきたまちの成熟と受けとめられないか。ドクメンタには、「時代を記録する」という意味も込められる。ドクメンタの先鋭のアートが発するメッセージは世界の今を伝える。そのドクメンタの開催の記録を記憶し続けるのは、カッセルのまちと来訪者だ。日本の芸術祭がこれからどのような道をたどるかは、そのまちで暮らす人々の度量にかかっている気がする。

佐竹和歌子

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